出典:江ノ島電鉄株式会社
みなさんは鎌倉・極楽寺エリアをご存知ですか?映画「海街diary」やドラマ「最後から二番目の恋」などの舞台となり、最近注目を集めています。鎌倉中心地とは少し趣のちがった、なんだかなつかしさを感じるこの街。鎌倉観光としては少しマイナーな場所です。
今回は江ノ島電鉄・極楽寺駅周辺の歴史を感じるスポットを4つご紹介します。普通の鎌倉観光にちょっと飽きたあなた、ぜひ落ち着いた雰囲気をお楽しみください!
1. 町名の由来となった花と福祉の寺・極楽寺
極楽寺駅からゆるやかな坂をのぼるとすぐ、線路の向こうに見えるのが極楽寺の山門です。目の前の赤い橋をわたって左にまがると、アジサイやツバキに囲まれたかやぶきの山門がみえてきます。
鎌倉では珍しい真言律宗の寺院で、北条重時によって創立され、忍性(にんしょう)によって開山されました。最盛期は大寺院でしたが、何度も荒廃と復興をくりかえしました。現在の伽藍の多くは近代になってから再興されたものです。
桜並木の参道の先進む先にみえてくるのが、立派なサルスベリです。正面に本堂、右手側には宝物館である天法輪殿(てんぽうりんでん)があります。
当時は施薬院などがあり、医療的な役割もはたしていたと伝えられています。本堂の手前にある茶臼は、忍性が薬づくりに使ったものだといわれています。
交通:江ノ島電鉄線極楽寺駅より徒歩3分
拝観:9:00-16:30
境内は撮影禁止です。
2. 鎌倉討ち入りの激戦地・極楽寺坂切通
先ほどの赤い橋に戻ってみちなりに進み、5分ほどで到着するのが極楽寺坂切通(ごくらくじざかきりどおし)です。
切通とは山や丘などを掘削してつくられた道のことで、鎌倉には7つの代表的な切通があります(鎌倉七口)。そのひとつである極楽寺坂切通は、極楽寺同様忍性によって切り開かれたといわれています。
南は海、三方は山に囲まれた鎌倉。防御上とても有利な地形でしたが、人や物資の往来はとても困難でした。そのため、最小限の山を切り取って各地を結ぶ道が整えられます。極楽寺坂切通は、由比ガ浜をぬけ京方面へと向かう重要な道でした。
もっとも有名なできごとは新田義貞による鎌倉討ち入りです。険しいこの切通に幕府軍が待ちかまえ、何度も攻防を繰り返すも失敗に終わります。そんな困難な極楽寺坂切通も現在は舗装され広い道路となりました。坂の下には切通の歴史を伝える石碑が建てられています。
3. 花と縁結びの寺・成就院
出典:成就院公式ホームページ
極楽寺坂切通の途中にあるのが成就院です。参道のアジサイで有名でしたが、修復工事を経て2017年より萩の苗木にかわりました。般若神経の文字数と同じ262株のアジサイは宮城県南三陸町に寄贈されたとのことです。
参道をのぼると由比ガ浜を見渡すことができ、美しいフォトスポットとして知られています。
成就院は真言宗大覚寺派の寺院で、鎌倉幕府によって建立されました。鎌倉討ち入りで焼失し西ヶ谷にうつりましたが、江戸時代に再建され現在の場所に戻ったといわれています。
本堂前の不動明王は、縁結びのご利益があると多くの方が訪れています。パワースポットとしてとても人気があり、スマホの待ち受けにすると恋愛が成就するとかしないとか。文覚の荒行像は、江戸時代の彫刻家・荻原碌山に影響を与え、代表作「文覚」が制作されたそうです。
出典:成就院公式ホームページ
4. 夫婦が眠る墓塔・伝上杉憲方墓
成就院より駅方面に戻ると、交差点の手前に小さな石碑があります。ここが上杉憲方(うえすぎのりかた)の墓の入り口です。民家にはさまれた細い道を抜けると石塔群がみえてきます。
上杉憲方は南北朝時代から室町時代の武将です。兄弟の死で家督を譲り受けたのち関東官領をつとめ、関東公方・足利氏満の補佐として活躍しました。山内上杉家の5代目当主です。ちなみに、16代目は有名な上杉謙信です。
上杉憲方の墓は七層塔です。となりの五層塔は妻のものと伝えられています。史跡看板によると七層塔は鎌倉時代末期、憲方の生前につくられたといわれています。自身で建立した明月院の宝篋印塔(ほうきょういんとう)も憲方の墓とされています。
奥まった場所にひっそりとたたずむ石塔群。こんなところにある史跡をたどるのも鎌倉旅の醍醐味でしょうか。
交通:極楽寺駅より徒歩2分
まとめ
いかがでしたか?今回は極楽寺エリアの寺院と史跡をご紹介しました。有名な鎌倉中心地とはちがって、あまり耳にしたことのない場所が多かったのではないでしょうか。ぜひ、極楽寺周辺で鎌倉のツウな旅をお楽しみくださいね!